家主からのメッセージ   2007 年 10 月 2 日



ホームページ開設にあたって



個人用ホームページは,自己紹介・自己宣伝の場であると心得ています。数年前から,病院の外来に来る患者さんに,「先生のことは,インターネットで知りました」という趣旨のことを聞くことが何回かありました。しばらく,気にも留めていませんでしたが,あるときふと自分についての記事とはどんなものかに興味が湧きました。

どんなシステムになっているのかわかりませんが,「阿岸鉄三」を開いてみると,10,000以上の記事が載っていることになっています。初回は,人の記事を載せてくれる物好きな人がいるものと思っただけで閉じてしまいました。そのうち何回か開くうちに,少しずつ内容にも立ち入るようになりました。概して言えば,今のところ悪口・誹謗のたぐいの内容はないようです。しかし,必ずしも正確でない内容のものがあることが分かってきました。人の名前を勝手に無断で借用しながら,自分と特別な関係にあるようにしているのが少なからずありました。今のところ名誉棄損とまでは言わないまでも,その人たちに何か不正の行為があったときには,私にも何らかの責任が降ってくるのかと思えばちょっと不安な気持ちです。インターネット情報などにちょっと詳しい人に聞いてみても,現代社会では,このような情報を排除することは技術的に不可能で,「やられ放し」と言われます。対抗手段として考えられるのは,自分でホームページを開いて,直接・間接的に,自ら正確な情報を流す以外にはなさそうです。というのが,個人的ホームページを開設した主な理由です。



わたしに関する記事の中で,多いのが「阿岸鉄三 気功」に関するもので、最もヒットしているのが,「科学的医療と非科学的医療」に関するものということになっています。最近,自ら顧みて,自分の医師としての進路がかなり特異なものであったのではないかと考えています。1960年,医師になって多くの日本人医師がそうであったように,当然のことのように,大学の外科の医局に所属しました。ところが,身近の先輩の影響を受けて、当時わが国でも始まりかけていた人工臓器の研究開発にのめり込むことになりました。40数年前のわが国においては,人工臓器は将来の夢であっても,現実のものではない先端というよりは,異端の研究テーマであったのです。それはやがて,現代科学技術を医療に応用した先端医療技術となり,私の専門領域である人工腎臓についてみると,40年前に慢性腎不全患者の1年生存率は10%以下であったのに,最近ではほぼ90%になるほどの劇的な効果をもたらすほどにまで発達しました。



ところが,10数年前,正確に言えばオウムの事件のあった1995年に気功師をわたしのところに連れて来た人がいたことがきっかけになって,自分自身が気功師になってしまいました。外気功とは,一般的に言えば,両手の手のひらを患者の頭の両側にかざすことによって,患者に肉体的・精神的,そしてときには霊魂性(スピリチュアリティ)にまで影響を及ぼすものです。当時もそして現在も,正統的な医学の教科書には、その存在すら書かれていません。むしろ, ” そんなことは起こるはずがない ” , ” そんな非科学的な ” とするのが一般的と考えられます。しかし,40年近くも,世間では科学者として通るわたしが,実際に外気功の際に起こる患者の変化を自分の目で見て,あるいは現代的測定機器で確認しているのです。

非科学的な外気功を,科学のパラダイムの中で理解するにはどうしたらよいのか。俄然,興味がわいてきました。外気功は,米英では,スピリチュアリティとの関係で論じられることの多いのです。スピリチュアリティは,時に宗教との近縁関係で論じられることが多いのです。そうなると,気功を一種の医療(類似)行為と認めると,医療とスピリチュアリティ・宗教との関係も気になります。興味がどんどん広がり,いろいろと本を読むと,科学技術が満ち溢れている現代でも,この世の中に起こっている事象には科学的に理解できないものも多いと考えられるようになってきました。 



科学とは何かを厳密に定義しながら考えると,科学的に理解できるものは,むしろこの世に起きる事象のごく一部とさえ言えます。最近では,医療を量と質から評価すべきであるという考えが広がってきています。質は,現代でも,科学的には評価できないものとするのが一般的でしょう。質は,人間の感性に関するものだからです。ここまで述べてくると,現代では,科学技術だけでは医療を実行することができず,非科学的視野からも実施し,評価しなければならないものということがわかるかと思います。私のホームページでは,科学的医療と非科学的医療を統合させる話題が狙上に乗せられます。

 

 

 

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